国一日記#240909(記録の大切さ)。

二年前のこの日の朝、私は北京の家で同じように早く起きて、コーヒーを飲みながら簡単なストレッチをしていました。そして、時々スマホで世界のニュースを見ていました。

「え!イギリスの女王(エリザベス二世)が亡くなったの?」長生きすると思っていた私は、ずっと口を開けてびっくりしていました。横に置いたアイスコーヒーは、だんだんぬるくなりました。

でも、私はイギリス人ではないし、女王と友達でもありません。人生の不思議を考えた後、私は普通に一日を始めました。同じ朝、私は嬉しくApple Watch Ultraという新しい時計を買いました。

関係ない二つのことを、私は全部電子日記に記録しました。だからこそ、毎朝、日記の一番最初の言葉を書くとき、過去11年間の「この日」を見ることができます。

女王のことは、世界のどこかで誰かが思い出すかもしれません。でも、その日にApple Watchを買ったことは、私が記録しなければ、忘れてしまうかもしれません。

— これが、私が記録するのが好きな一番の理由だと思います。

2010年5月から、私は自分のドメインを持ち、ブログを作るためのサーバーを借りました。その日から、「最近のこと」を自分のサイトに時々書いています。

それらは生活で起こったことや、頭の中の考えを、ブログとして書くことで、私の考えを出す一つの方法になりました。少しずつ、そのサイトには私の考えが増えて、2021年6月12日から毎日書き続けています。今では、たぶん2000件(1000個漢字以上)のブログがあると思います。

私のブログに記録された考えは、もしかすると未来に、私が亡くなった後、AIによって私の人工知能になるかもしれません。そうして、別の形でこの世に戻れるかもしれません。でも、ブログで作られた「私の脳」は、完全な私ではないと思います。

— ブログは論理的な考えを書きますが、日記にはもっと感情が記録されているからです。

そのため、2013年から、ブログを書くと同時に毎日日記を書くことを始めました。もっと感情的で、忘れやすいことがプライベートな日記に記録されています。そして、日記は私の記憶を助ける大事なものになりました。

ブログは論理的な考え、日記は自由な感情、さらに、過去3年間続けている毎日の写真。それらが一緒になって、私の個人伝記のようです。

もちろん、他の人がそれを全部読むことは、きっとありません。(笑)