国一日記#240908(青年は)。

平日の朝早く起きるのは、授業に行くためだと言えるかもしれないけど、週末の朝早起きするのは、完全に自分の意思からです。だからこそ、土日の朝に鴨川で見る人たちは、平日とは少し違います。仕事に急ぐために駅に向かう人たちは、ようやくゆっくり寝ることができます。そして、学校に遅れないように急いで自転車をこぐ、髪が飛びそうな学生たちもいません。あ、いや、まだ見かけることもあります。特に、日曜日の朝早く、鴨川の橋の下で寝ている彼らの姿をよく見かけます。
そう、毎日曜の朝、鴨川の橋の下には、学生たちが三、五人で集まり、色々で地面に寝ています。ここがどこかを完全に忘れているか、疲れすぎて休憩が必要なようです。まるで昨夜、鴨川や世界を救ったかのように。
時々、彼らが起きていたり、またはカラオケから出てきたばかりに出会うこともあります。彼らは三々五々、目的もなく鴨川のそばを歩き、笑い合い、楽しそうに過ごしています。まるで目の前のこと以外、何も考えなくていいかのように。
「これこそ青春だ、これが若者だ」と、いつもそんな光景を見るたびに思います。
……
今年の4月から、15年ぶりにまた学校に通い始めました。十数年前、勉強の仕方はあまり上手くなかったけれど、また教科書を開いてノートを書き始めると、少しは役に立ちました。でも、15年前の授業の感じと今は違います。それは、日本で留学しているからだけではなく、日本語学校のクラスには色々な人がいるからです。
国、民族、肌の色、そして中国と台湾の関係については話しません。年齢だけでも大きな違います。周りのクラスメートはほとんど20歳くらいで、区役所で年金を受け取る年齢に達していない人もいます。先生も、60歳くらいの先生以外は30代の人も多く、前学期のクラス担任は授業後に冗談で私を「兄さん」と呼びました。
クラスメートとは、時々日常的なことを日本語で話しますが、避けられない話題が年齢です。
「あなたも20代でしょ?」と、ミャンマーの男の子に言いました。
「21歳です、国一さんは?」と、彼は私を見て言いました。
「君より16歳上だよ」と私は彼を見て言いました。
そして、彼と他のクラスメートは驚いて私を見ました。
……
先日、漢字を習っていたとき、「青年」という漢字を習いました。
先生は「青年」の年齢範囲を話しながら、冗談で「自分はもう中年だ」と言いました。最後に「みんなは青年だよね?」と言うと、あの驚いていたクラスメートたちは、また私の方を見ました。
もちろん、厳密に言えば、私はもう青年ではないです。でも、今は中年ですか? それも違う気がします。私は「中年」の年齢に達しているけれど、「青年」のようなことをしています。
ただそれだけではなく、私の体や気持ちもまだ「青年」です。心の中の「青年」は、今何をしているか、そしてまだ実現可能な夢があるかどうかにかかっていると思います。
——夢があり、やる気があるなら、心はまだ「青年」です。
……
今日のブログで言いたいことは、だいたいそんな感じです。
でもね、週末に長距離を走って、自習にも急いで行くと、やっぱり体は少し疲れますね。
これでは、100%の「青年」ではないかもしれません。(笑)