午前11時、私は理髪店の前に到着し、ドアを開けながらテーブルを整理している理髪師に言いました。「先生、お邪魔します。少し遅れてすみません。」
理髪店の人を「先生」と呼ぶのが正しいかどうか、私は今まで調べたことがありません。一つの理由は、日本で「先生」という言葉は、中国で相手に「師傅」と呼びかけるのと似ていると思ったからです。名前がわからないときに敬意を言い方です。もう一つの理由は、この理髪店にもう8回も来ていて、ここが私に京都で最高の日本語会話クラスのように感じているからです。
約1時間の理髪の間、京都出身の理髪師は私の髪を切りながら、最近の私の様子を尋ねてくれました。「北海道マラソンはどうだった?」とか、「最近の勉強は大変じゃない?」とか、「時間があれば琵琶湖の竹生島に行ってみて。」とか、「一昨日のサッカーの試合はちょっと大変だったね。」など、色々と話をしてくれました。さらには「最近、私の左耳の聴力が悪くなってきたから、病院に行く予定だよ。でも、国一さん、日本の健康保険に入ってる?」と私に質問し続けてくれます。話すペースはゆっくりで、とても分かりやすいので、私のあまり上手ではない日本語にも嫌がりません。
「最近の日本語は前回より上手になってるよ!」と、髪を切り終わった後、先生は私の目を見て言いました。「うん、これからも頑張ります!」自習室に向かうため、私は日本語の練習方法について、あまり多く話しませんでした。
実は、ニュースをたくさん読んだり、本を読んだり、ポッドキャストを聞いてリピートしたり、そして「京都国際交流会館」で先生と会話したりすることが、最近の私の日本語の練習方法です。
でも、今朝のランニングのときに、私は新しい練習方法を思いつきました。それは、走っている間ずっと日本語で考えることです。
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青空や白い雲について考えたり、木や花、飛んでいる鳥について考えたりすることもあります。ベンチで休んでいるお年寄りや、少し先を歩いている美しい女性についても考えられます。時には、ただ自分についてだけ、暑いか、喉が渇いているか、足が疲れているかなどを考えることもあります。
とにかく、私が知っている日本語の単語を使って、自分の考えをまとめていくのです。
でも、面白いことに、写真を撮ると、こうした考えが一瞬で消えてしまいました。写真を撮った後にもう一度日本語で考えようとすると、今度は写真を撮ったことが頭の中で消えてしまいます。つまり、まだ日本語を自分の言葉として完全に使いこなせていないのです。
これは、写真を撮ることとランニングの関係に似ています。でも違うのは、ランニングはもう自分の習慣になっているということです。だから、写真を撮ることがランニングに影響がないように、日本語を使うことも、もっと練習すれば自分のものになると気づきました。
日本語で「走ることについて考える」時、つまり日本語がもう一つの「写真」や「ランニング」となる時が来るでしょう。
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