京都の日の出はすでに5時半を過ぎているので、5時ごろに起きた時、部屋はだんだん暗くなってきました。しかし、暗い部屋のカーテンを開けると、窓の外の景色はいつも何かしらの驚きを与えてくれます。例えば、地平線の下から複雑な方法で映し出される朝日や、ピンク色に染まった雲を見ると、コーヒーを飲むよりも目が覚めます。
最近は、窓の前に立ってランニング前のストレッチをしながら、その景色をどうやって日本語で表現できるかを考えています。たとえば、「朝日が黙って夜を追い出した」とか、「霞がかかった光が空を紫から赤に変えた」などです。
こういう自分で考えた表現は、教科書には載っていないでしょう。じゃあ、この前2日間の夕方の「京都国際交流会館」の日本語会話の授業で答えが見つかるかというと、やっぱり「見つからない」。同時に気づいたのは、どんなに日本語を上達させたいと思っても、自分の時間を持つことが必要だということです。
なぜなら、それは私にとても大事なことだからです。
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大体6年前、最初のランニングイベント関連の仕事を辞めた頃から、私のおしゃべり好きな性格が急に変わりました。その後、北京マラソンや広州マラソン、南京マラソンなど、もっと専門的なイベントの仕事をしていましたが、以前のように誰とでも楽しく話せる自分は、もういなくなっていました。
代わりに、話すための時間を作るたびに、同じかそれ以上に自分だけの時間を作る必要が出てきました。この時間がなくなると、私はだんだん調子が悪くなってしまうのです。
だから、過去2日間の夕方の会話授業は楽しかったけれど、その最中でも「あるもの」が頻繁に私に知らせてきました。「自分の時間が必要だ、自分の時間が必要だ。」と。それを無視すると、私はもうだめになってしまいます。
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朝起きてからのストレッチも、話さずに走ることも、写真を撮ることも、そして約1200日続けているブログも、全部自分だけの時間です。それが私を落ち着かせ、思考をはっきりさせてくれます。そして、こうした状態の時だけ、外界との交流がちょうどよくできるのです。
でも、これはあくまで交流の前に起きることです。しかし、交流が限界を超えたら、その後自分をどうやって救うかが難しい課題となります。だから、今の私は「交流」に制限を設けるしかありません。
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このブログを書くのも、とても難しかったです。辞書をずっと引いていました。
それでも、これも「自分の時間」なのです。
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